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勝運寺について
末子山 覚誉院 勝運寺
寛永5年(1630年)、本蓮社徳誉大源上人(寛文4年(1664年)7月28日寂)によって現在のJR田町駅の近くに開山されました。その際、堺屋吉兵衛が経済的支援者となり、勝運寺の創建に尽力されたとあります。
その後、慶安4年(1670年)徳川家綱の時代に現在の地に移転されました。
元は、地付きの末子稲荷神社(京都伏見稲荷神社の分社)に土地を分けていただき、勝運寺が共存しますが、そのあと末子稲荷神社は途絶えてしまいます。今もその名残として、境内地に鳥居と小さな社が残っています。
寺伝によれば、弘法大師御作の如願地蔵(木像)が安置されておりましたが、震災戦災により焼失しました。現在の御本尊である阿弥陀如来立像(徳川初期創像)は、茨城県笠間にあります月崇寺の守り本尊を安置しております。
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